宇宙飛行士候補者選抜試験を振り返って

Shimpei Otsubo
25 min readJan 9, 2023

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切り替えのための日記として

もともとこの記事を書き始めたときは「宇宙飛行士を目指す人のために」という思いだったが、書き始めたらその多くが自分が頭を切り替えるための思考の整理になってしまった。そういう意味で報告ではなく日記の様相をより強く呈する記事になってしまった。ただ、自分が経験できたことのレア度を考えると日記であっても読みたい人はいるのかもしれないと思ったので日記部分も削らずに公開することにする。

一つのサンプルとして

宇宙飛行士候補者選抜試験の「今回の受験者」と「次回の受験者」が知りたいであろう情報を残すことが本来の目的である。

次回の受験者に対して

「前回は何をして何をしなかった結果落選に至ったのか」を記録して次により良い成果にたどり着けるようにするというのが次回の受験者に向けての目的である。自分は今回の試験に挑戦する中で公開されている情報が少なすぎると感じた。試験の性質上しょうがない部分もあるが、公開して問題がないであろう情報の入手にも苦労した。平等なチャンスができる限り多くの人に行き渡る世界を作りたいので、自分の話はできる限り詳細に出そうと思う。

この「次回の受験者」に自分が含まれるのかはわからない。しかし記録というものは後から作ることはできないので次回のチャンスで「本気でやり直したい」と思う自分がいることを想定することが今できる最善であると思う。

今回の受験者に対して

自分は幸運にも良いところまで進むことができた。自分だったら自分よりも進んだ人の記録は見たい。受験した人からすると自分より進んだ人の記録を見て自分と比べることが何が足りなかったのかの解像度を上げるのには非常に良い方法の一つだろうと思うからだ。自分は一つの特殊例しか示せないが、逆に言うと一つのサンプルにはなるので、できる限り細かく、そして正直に記載したいと思う。悔しさ / 自慢したいこと / 自分の性格の悪さなどがにじみ出るところもあるが、それも含めて正確なスナップショットなのでできる限りそれは残すことにした。

私が誰か

こういう情報はコンテキストが重要なので自分が誰なのかをまず示す。ソフトウェアエンジニアをしている28歳で、より詳しいことは上のリンクを見てもらうのが良さそう。リンク先にない関係ありそうな情報としては「仕事でも英語を使っていた時期がある」「ずっと運動部だった」等がある。今回の宇宙飛行士候補者選抜試験では2次選抜まで進出してそこで落選した。

受けない選択肢はなかった

宇宙に行きたい

「なぜ受けたのか」が多くの人に訊かれるが、自分としては受けない選択肢は考えてなかったので訊かれて改めて言語化することになった。その端的な理由はやはり「宇宙に行きたい」ということである。自分は広い宇宙に住みながら高々10km程度しか地表から離れることができないという事実を受け入れたくなかった。程度は違えど「あなたは一生日本から出られない」と言われるのと似た気持ちになる。無重力と地球を外から見るという体験をなんとしてもしてみたい。それにどんなコストとリスクを許容できるかは人それぞれだと思うが、行ってみたいという気持ち自体は多くの人が共感できるものだと思う。

仕事を通して理想の自分を追求したい

次に自分の考え方の前提の説明になる。自分は仕事を通して理想の自分に近づきたい、と考えている。理想の自分とは例えば下のようなものがある。

  • 海外でも働ける言語/文化理解
  • 教養
  • 高い倫理観
  • サイエンスへの深い理解
  • 健康で高い身体能力
  • 状況判断能力
  • コミュニケーション能力
  • 自己管理能力
  • バイタリティ

全ての項目のために全力で努力をしているわけでもなければ、全てを絶対に仕事で満たしたいという強い気持ちがあるわけでもない。ただ、仕事としてやることがその力を成長させるのにある意味では一番簡単な方法だと思っている。求められるレベルがどんどん高くなるし自分も自然と本気になれるからだ。

両方同時なのが宇宙飛行士

「宇宙に行きたい」という気持ちが「宇宙旅行者になりたい」ではなく「職業宇宙飛行士になりたい」になる理由がここにある。

せっかく宇宙に行くんだったらプロとして行きたい。国立のピッチに立つならツアーで入るんじゃなくて選手として立ちたい、みたいな感じだ。宇宙飛行士に求められるスキルで自分の理想から外れるものがなかったし、求められるレベルが非常に高いことも言うまでもない。

この宇宙に行きたいという気持ちと高い能力を獲得したいことの2つをもって自分は宇宙飛行士を志望した。

結果 — セミファイナリスト

今回の試験では2次選抜に進出した50人に残ることができた。4127人が応募したので倍率では82倍だった。自分はここで落選し最終選抜に進むことができなかった。ファイナリストは10人なので倍率にすると413倍になる。試験のステップはややこしいのでこの記事では2次選抜と3次選抜をセミファイナル、ファイナル(あるいは最終選抜)と記述することにする。

「信じると実現する」という信念

自分がなぜここまでは進出できてこの先には進出できなかったのか、自分なりに答えはもっているが、それを説明するにはまずは自分の信念を説明する必要がある。

信じると実現

自分は「本気で信じることができた夢は実現できる」と信じている。もちろん例外はあって100m 8秒台とか、200歳まで生きるとかは無理だろう。世界で数人/組/国しかその達成を味わえないレアなこと、例えばワールドカップを手にするとか、もこれだけではなかなか難しいだろう。でも逆に言うと大概のことはこれが成り立つと思っている。具体的には宇宙飛行士はギリギリこの信念が通用するチャレンジだと思っている。

信じるとは「失敗に驚愕できる」こと

信じるだけで実現するというとなんだか怪しい話にも見える。ここで断っておきたいのはこの文脈で言う「信じる」とはなにかである。自分の中ではそれは「真実でなかったらびっくりする」である。びっくりでなく「深く落ち込む」でも良い。とにかく「そうならない現実を受け入れるのが難しい」と思えることだ。そう思うと結構信じたいことを信じるのは簡単ではないということにもなる。後述するが自分も「宇宙飛行士になる」と本気で信じるということに失敗した。

信じると必要な努力が当たり前にできる

自分の信じることに反することが起こりそうだと認識したとき、自分は必要な情報が勝手に目に入り、火事場の馬鹿力で何でも解決できるようになる。この文脈における信じるとはつまり「当たり前の基準」なのでそこを維持するために必要な努力をわざわざ努力とは思わないのだ。留年しても無職になっても本来人生において大したことはないが、そういうことが起こるかもしれない、と思ったときに「自分の当たり前が崩れる」と思って本気が出せるのでなんだかんだ回避できたりする。つまり「留年したくない」と思うくらい本気で「宇宙飛行士になりたい」と思えてればそれで良いということになる。

念の為にこの信念とはあくまで自分に閉じる話であることを明言しておきたい。自分の考えは言い換えによっては「何かが得られなかったときあなたは真剣ではなかったのだ」という考えにもなる。自分に対してはこの厳しさを持っていたいと思っているが、あくまで自分にだけである。

落ちた理由は「信じられなかったこと」

セミファイナルまでしか信じられなかった

ここまでの議論を認めると自分は「宇宙飛行士になりたい」と信じられなかったということになるが、実際に自分はそうだと思うのだ。実際、受けながら「いつも友達にはビッグマウスしてるからセミファイナルにも行けなかったらダサいな」と思ったことを覚えている。そこまでは行かないといけない、という自分を奮い立たせる気持ちがあったが、セミファイナル以降にはそれがなかった。

試験準備はセミファイナル進出まで

セミファイナルに到達するまではステップは多く数えて書類選抜 / 英語試験 / 一般教養試験 / 1次選抜の4つである。いずれかで不合格になるとその次のステップに進めない。自分はエントリーシートを出してからこの4ステップの準備は全て同時に始めた。1次を突破できずに落ちる世界は受け入れられないと思っていたが、逆に言うとその時は「セミファイナルの準備もやっておかねば」とは思っていなかったのだ。これが「セミファイナル突破を信じられていなかった」ことを示す一つのエピソードだ。

前回ファイナリストを「格上」に感じた

エピソードはもう一つある。試験中に開催されたJAXA 筑波宇宙センターの特別公開で前回ファイナリストの内山崇さんに30秒くらい接触することに成功した。今回の受験者の殆どが事前に読んだであろう『宇宙飛行士選抜試験 ファイナリストの消えない記憶』の著者である。もちろんこちらが一方的にファンなだけなので社交辞令的な会話にとどまったが、その一瞬で圧倒されてしまった。

もちろんこれは内山さんの凄さでもあるのだが、自分が「ファイナリストは格上の存在」と認めていたことを意味した。自分は自信過剰なタイプなのですごい人に会っても「まあ自分もそれくらいすごいと思うし」と思ってあんまり緊張したりはしない。つまりこれは「自分もファイナリストくらいにはなる」とは思えていなかったことを示している。これを理解して帰り道で少し辛かったことを覚えている。

セミファイナルの失敗

信じられなかったことがどう悪く作用したかの解釈を記録していきたい。もしかしたら自分が何をしようと素質が足りなくて無理だったのかもしれない。ただそれを考えてもしょうがないのであくまで「自分の選択で変わったとしたら」という前提である。

不明瞭なスタンス

一番大きいのはスタンスが不明確だったことだと思う。自分は本命枠を取りに行くのか大穴枠を狙うのかを決めきれていなかった。

これまでの宇宙飛行士の雰囲気を一単語にまとめるとすれば自分は「穏やか」を当てる。しかし自分に当てる単語があるとすれば「賑やか」になる。「やかましい」かもしれない。

凄くシンプルに言うと本命枠としての「穏やか」と大穴枠としての「賑やか」のどちらを演出するのかスタンスが決められていなかった。これがなかったことで自分の面接の回答は自信を持って答えられないものが含まれた。「自分のスタイルを突き通したい」と思ったので「賑やか」によせる感じで行こうと思っていたが、決心はしていなかった。それはリスクを取る戦略だったが、そのリスクを補う十分な準備ができていなかった。

準備不足

自分は臨機応変な対応能力に自信があるが、これについては「臨機応変力」そのものが高いわけではなく、似たような状況に置かれた経験を活かす力、言ってみれば応用力に依存しているという自覚がある。

今回の面接では臨機応変な対応ができなかった。これは上記の「似たような状況」を作る回数の問題だった。面接対策は自分でメモを取りながら数時間考えたくらいだった。「友達に質問攻めにしてもらう」くらいのことをする時間は十分にあった。そんなシンプルなことも「やらないとまずい」と思えないのは「自分はこの先に進むはずだ」と思えていなかったからだと思う。

次も受けるかはまだわからない

ベストなキャリアかはわからない

自分の人生にとって宇宙飛行士になることがベストな選択肢なのかはわからない。ありがたいことに「君が宇宙飛行士になると君の価値はむしろ減少する」といってくれる人もいる。端的な例としては宇宙飛行士になると「若いうちに起業して夢を追いかける」という道を取る選択肢は消えてしまう。

5年後は丁度いい

次の試験の日程について公式の発表はないが随所で「今後は5年に一度やりたい」という発言がなされている。今回は28歳で試験を受けた。5年後自分は33歳を迎えるので宇宙飛行士の採用時平均年齢の32歳(大坪調べ)に近くなる。これまで20代で採用されたのは日本人宇宙飛行士の中でも特に優秀だと認識している若田さんのみなので今回選抜されるのは非常に難しい挑戦だったとも思っている。そこで当然ながら「次が本番では?」という気持ちも湧いてくる。セミファイナルまで進んだ経験を持って最適な年齢で受け直すチャンスはなかなか手にすることができない。そのチャンスをみすみす逃すのもな、と思っている。

目指しても損しない

良い選択肢であるかはわからないが、少なくとも目指すことで損することもないとわかってはいる。今回の試験を受ける中で自分は「これまでの人生のツケを全て払わされる」と感じた。話し方(早口) / 体力 / 一般教養 / 規則正しい生活 / 時事 / 芸能 など「仕事で成果出ればいらない(知らなくていい / いつかできればいい)」と半ば切り捨ててきたことを自分に要求する機会になった。それをこれから5年間鍛えてみてもただ良い人間になれるだけだ。この記事を書いている理由の一つでもあるが「後から何かを取り戻すのは難しい」ということにできることがわかっているなら進んでいこうと思う。「やっぱり本気で受けなくては」と5年後に思う自分が後悔しないことは積み重ねていきたい。

タイムライン

さて、多くの人は自分の考え方には興味がなくて「あなたはどんな人で何をした結果どこまでいったのか」という情報であろう。というわけでタイムラインにまとめてみることにする。

2021年以前 — 宇宙はちょっと好きくらい

宇宙は好きだった。映画や漫画は宇宙関係のものは基本的に好きである。宇宙兄弟 / For All Mankind / 火星の人 / 三体 などは何度も見返している。SpaceX の打ち上げもよく見ていた。ただ逆に言うとその程度で子供の頃から絶対に宇宙飛行士になりたいと思っているようなタイプではなかった。おそらく「将来なりたいもの」に宇宙飛行士を挙げたことはない。

2021年11月 — 募集を知る

おそらく YouTube で宇宙飛行士の募集を知る。履歴を見ると11/4に QuizKnock の動画で知った可能性が高そう。

次に11/11 にヨビノリの動画でおそらく改めて意識することになった。

ここで受けようかなとは少なくとも思ったが、すごく意識したわけではなかった。

2022年1月 — 記憶の片隅

ほとんど意識をしていない。新年の抱負を考える機会がいくつかあったがそのいずれのタイミングでも頭によぎっていない。前回いつ選抜されて誰が選ばれているのかを知らなかったし、現役の宇宙飛行士だと若田さん、野口さんしかわからなかった。星出さんは上の動画を見て初めて認識したかもしれないし、少なくとも金井さんは「完全に知らない人だ」と認識していた。

2月 — 決意

応募を決めた。なぜかは正直ちゃんと覚えていないが、前述の動機が頭にあったこと、「意外と向いている」と思ったこと、受ける事自体が楽しいチャレンジになることあたりを考えていたと思う。

応募締め切りまでに形式と項目が細かく指定された健康診断書を提出する必要があった。3/4がその締切なので多くの健康診断は結果が返るまでに3週間程度のリードタイムが必要なので、ここから間に合わせるのはほとんど不可能だった。この直後に提出期限の延長があって助かった。

病院を探すのは大変で色んな場所に電話をかけて回ったりしたが、「宇宙飛行士 健康診断」で検索したら一瞬で候補がいっぱい出てきた。なぜこんなことにも気づかなかったのか…と自分で自分にびっくりした。

3月 — 応募

応募した。前述の通り宇宙飛行士になるために人生を生きてきたわけではなかったのでエントリーシートはちょっと困った部分もあったがなんとかなった。日本人宇宙飛行士については JAXA の YouTube やミッションの記録などで学んだ。エントリーシート提出直後に本を買い込んだ。下のリストがその一覧である。

読み物

試験対策

物語 / 漫画

注: 後述する本試と追試の間に購入した本は除いている。

まずは宇宙飛行士の試験に関する記述のある本をひたすら集めて試験の内容を推測してそれに合わせて勉強するための本を買っていった。基本的には高校までの内容を復習するという方法で進んだ。大学の内容は線形代数だけ復習した。

計画的/継続的な勉強は苦手なので全科目を毎日10分ずつ勉強するという方式をとった。試験前の10分間に詰め込む時のメンタリティで進んだ。明らかに短すぎる時間制限があると集中できるし時間は一瞬ですぎてくれる。

上長は自分の Twitter を見ているのですでに知っていたが、応募することを改めて伝えた。ちょうど昇進するタイミングだったが影響はなかった。むしろ最後まで応援し続けてくれた。この点については非常に感謝をしている。

4月 — 0次準備

上旬に応募総数がわかった。意外と少ないなと思った。

このあたりで1次選抜が自分にとっては最も難しいであろう、と考え始めていた。1次からは医学検査があるので健康状態を良くすること / 体力をつけることが大事だと感じてジムに行き始めた。一応毎朝仕事前に行っていたが、もちろんよくサボった。2週間連続で朝行った事もあれば一度も行かない月もあった。全体としては50%くらいだろうか。

英語は得意だったのと、前回の試験の分析から自分の英語力がボーダーを上回るであろうと予想したことから、勉強はほとんどせずに心配だった一般教養の文系科目の勉強の時間に当てた。ただ一応と思って記事で紹介しているチャンネルはよく見るようにした。

ここに書いていないものだと、Everyday AstronautScott Manley もよく見てた。

4/22 に書類通過の結果が来た。

せっかくだから前回と同じフォーマットで、と思って合わせた

主に1次のことを考えていたため、ここで書類選抜があることを実は把握していなかった。落ちうるステップを把握していなかった自分にヒヤッとしたし、結構人が減ってびっくりした。

このへんでどこまで行けるのかを意識し始めた。

トップ200人くらいは行けると思っていたが、トップ10人とかはかなり現実的ではないと思っていたことの現れがこのツイートになっている。思えばこのときからセミファイナル進出がゴールになってしまっていた。

5月 — 0次選抜

英語は公開情報から問題形式が推定できたのでその形式になれるように1回練習した。文系科目に時間をふっていたがこのへんで理系も怖くなってきた。高校物理を大学物理で書き直すという取り組みで復習した。ヨビノリの動画には大変お世話になりました。YouTube でいうとたろーですの動画にも大変お世話になりました。試験直前は総理大臣の語呂合わせを覚えたり、物理の覚えているか怪しい公式集を作ったりした。その結果生成されたのが下の画像。

覚えた公式から消していく方式で最終日に残った式一覧
覚えた式から消して残ったもの一覧

0次選抜はボーダーが全然わからなかったので不安だったし、小論文が採点されるのは初めてなので禁忌なことをしていないかも不安になった。

6月 — 追試

試験当日のトラブルがあり、これで試験時間が短縮された人は追試が希望できることになった。これについて自分は非常に迷った。自分が受けた影響は厳密には追試の対象になる。しかしそのトラブルで自分の受験に大きな支障があったかと言われるとそうではないこと、「問題傾向がわかった上で直前対策をしたい」という邪な気持ちもあったことが迷いの理由だった。

いろいろ考えたが「(倫理的に問題でなければ)与えられたルールの中で成果を最大化する」というアクションを取らずに通過できない結果になるのは嫌だったので追試を受けることにした。もう一度受けるのはそれはそれで大変だったし「追試のほうがボーダーが高いのでは?」という不安もあったがチャレンジできてよかった。疲れたのでその日は寿司にした。

試験直後は不安な気持ちが強かったが、それ以降はあまり心配してなかった。そんな感じで生きてると28日に0次通過の結果を受け取った。自分はいいことがあると Twitter や会社の Slack で自慢して回るような性格をしているが、あんまりそれがされた形跡がない。あんまり覚えていないが、少なくとも進んでびっくりはしなかったのだろうと思う。進むだけのことをやりきった自信はあった。

通ったら「ずっと同じ形式でツイートしてた」って話題になるかな、とか妄想してた時期

7月 — 1次選抜開始

ここからは見た目の印象も大事だろうと思ったので、髪色がアッシュ ~ 金髪だったので暗く染めることにした。このあたりで自分を突き通さないあたりが中途半端だなと後からは思ったりする。

1次は資質特性検査とか運用技量試験とか文字列だけ見ても何が行われるのかわからない試験項目が並ぶので特定の対策はせず、健康状態を良くすることに時間を使った。ジムに行き始めてから毎月1kgのペースで体重を落とすことができていたが、身長173cmに対して体重が77kgというBMI 25超で医学検査を迎えることになり、これが不安の一つだった。

どうでもいいことだがここで自分の身長がほとんど√3 m であることに気づいた。つまりBMIは体重を3で割ればよいということになるのでかなり便利。

8月 — 1次選抜終了

この先2次では面接が入るので髪は「暗め」ではなく「黒」にしたほうが良かろうと思って完全に黒髪に戻ることにした。

9月 — 引越

妻の退職に伴って引越をすることにした。このタイミングで「筑波に引っ越すとしたら今は動かないのが得策」ということは頭によぎったが、その可能性の低さもわかっていたので仮にすぐにまた引っ越すことになっても良い、と考えることにした。

30日に1次を通過した連絡を受けた。全社ミーティングの最中で Apple Watch で連絡が来たことだけがわかり、中身が読めなかったのですごくドキドキする30分を過ごした。通過したことは非常に嬉しくて社内で自慢して回った。5%くらい月にいるんだなと思うとすごい話だなと思った。

この辺で「選ばれたら最後だけ形式変えようかな」とか妄想を始めた。

10月 — 2次選抜

2次は10~11月に行われた。宇宙兄弟でもちょっと嫌なやつが登場し始めるステップなので、ちょっと不安でありつつ、勉強ができるだけで人間力が低めな人がいてくれたら自分の相対的な価値が上がるなと思っていた。そんな人は全くいなかったので、そういう人と出会えたことが非常に嬉しく、逆にこんな人達と勝負しないといけないのか、というのが大変に感じた。

2次選抜の候補者の中で「自分のほうが優秀だな」と感じる機会は殆どなかった。あえて正直に書くと「この人よりは自分の方が向いていそう」と思った人はゼロではなかった。でも「この人が進んでなんの文句もない」という人のほうが圧倒的に多かった。前述の通り自分は自信過剰なタイプなので、自分がそう感じるというのはこの先がないことを意味していた。

11月 — 筑波宇宙センター特別公開2022

特別公開の抽選に当たったので行ってきた。あんまりそこで働くようになることを意識しなかった。大学受験のときはオープンキャンパスでここに通うんだなと思った記憶があるのでそうならなかったのは意識の問題があったのかもしれない。(結果論による記憶改変かもしれない)

選抜で出会った人とまた会ってどの試験がどうだったみたいな話をしたりもできた。朝まで語り合うみたいなこともして久しぶりの青春を感じた。

12月 — 落選

23日に最終に進めなかったことがわかった。

結果が分かる前から「落ちた場合の形式」を考えていた…

焼肉屋でランチをしているときだった。多少読めてはいたが結構悔しかった。その日のその後の仕事は運良くギチギチに詰まっていたのであんまり考えすぎずにすんだ。ただそこからの切り替えは結構時間がかかっている。進んだ人の会社の広告がテレビで流れて悔しい気持ちになったり、NASAという名前を YouTube でみて目をそらしたりした。

受ける前は「落ちても受けたことがコンテンツになる」と思っていたがなかなかそういう気持ちに離れなかった。宇宙飛行士受験者からただの人になってしまったという心境もあった。それを認知して「やっぱり受けてる事自体がかっこいい」と思っているところもあったのかなと思って悔しくなったりもした。

2023年1月 — 切り替え

そして今だがあんまり切り替えられていない。それはこの記事に滲み出ている。宇宙関係のニュースを見ると少しつらい気持ちになるし、落選を報告するときに完全に笑ってはできない。やはり「なりたい」という気持ちは強いのだなと思った。ただなれるとは信じきれていなかった。ただ切り替えていくしかない。

試験を通じて得たもの

勝てない勝負にも挑戦する気持ち

これまで自分は勝てない勝負だなと思ったら挑戦を避けてきた。負けるかもしれない勝負に1年間も本気になったのはおそらく人生で初めてだと思う。もっと自分も挑戦していっていいんだろうなと言う気持ちになった。

パイロットになってもいいかも

友達と起業するみたいなことでもなければ、転職することがあっても同じ業界で生きていくのだろうなと思っていた。今回の選抜試験でいろんな業種の優秀な人をみて他の業界も面白そうだなと感じた。

特にパイロットに関しては自分が宇宙飛行士になるに当たって足りていないスキルが得られる場所なのではないか、と思って気になってきた。宇宙飛行士になろうとするレベルのキャリアチェンジを一度考えると、なれるかはさておきパイロットにチャレンジするのも躊躇する必要はないんだなと実感した。

ただ試験中に出会ったパイロットがすごく優秀でかっこよかくてその人に「大坪さんはパイロットに向いている」とリップサービスをもらったことでワクワクしてしまっているというのもありそうなので一度冷静になってみようと思う。

面白い友達

あまり出会った人の凄さを強調するのは好きではない。その人達の凄さと自分の凄さを混同してしまい自分を見失うのが怖いのがその理由の一つである。ただ今回に関しては流石に面白い人に出会えたと言わざるを得ない。みんなちょうどよく変なところがあった。そんな人達とただ出会うだけでなくすごく特殊な試験を受けるという共通点も作ることもできたのは非常にラッキーなことだったと思う。これは大事にしていきたい。

最後に

ここまで読んでくれた人は「全然整理ついてないやんけ」と思うかもしれないが、試験が全て終わったらまた多少整理もつくのかもしれないと思う。

まだ今回の試験は終わっていないが、自分が試験で出会った人が宇宙飛行士なるかもしれない。自分が話したことのある人が宇宙に行くというのは非常におもしろい体験になるだろうなと思う。今最終選抜を進んでる人には精一杯頑張って欲しいと思っている。自分も宇宙飛行士を目指し続けるかはわからないが、精一杯に頑張っていこうと思う。

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